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置塩城跡

所在地 兵庫県姫路市 地図 トップに戻る
由来 置塩城跡は標高370mの通称城山の山頂にある。播磨に覇を唱えていた赤松氏は嘉吉の乱で滅亡したが、その子孫の赤松政則が再興を果たしたのち、文明元年(1469)に築城した城である。以後五代の赤松則房まで続き、豊臣秀吉の中国攻めの時に秀吉側につき開城し廃城となった。城郭の資材は秀吉の姫路城築城の際に利用したと言われている。
赤松氏の臣下であった浦上氏が独立して、播磨西部から備前東部にかけての覇者となり、その浦上氏の配下の宇喜多氏が浦上氏を倒して備前に覇を唱えた。置塩城は、まさに下克上を象徴する時代を生きた城であった。
訪問来歴 04/08/08

姫路で行われたオフ会の機会を利用して登城した。標高は370mとそれほど高くはないものの、登山道は山肌の斜面を一気に登る道で、暑さとも重なってなかなかにきつい登城であった。
置塩城への登山口は夢前町の櫃蔵神社近くにある。宮置までは神姫バスを利用し、宮置バス停から置塩城までを往復した。宮置バス停から登山口までは約1km、登山口から置塩城本丸跡までは約1時間(2.5kmほどか)の行程であった。
置塩城はここでは「オキシオ」と読んでいるが、「オシオ」と読んでいるサイトもある。神姫バスの車内案内は置塩小学校を「オキジオショウガッコウ」と案内していた。「オキジオ」と濁って読むのが正しいのであろう。

置塩城案内図 
置塩城案内図
(山頂案内板から)


宮置バス停 (04/08/08)
左が北。置塩城は画面奥の山の左側に連なる。
置塩城跡 (04/08/08)
画面奥左の山が置塩城。左の峰に二の丸、三の丸などが配置され、右の峰に本丸が置かれていた。手前に見える川は夢前川。みやおき橋から見ている。登山口は夢前川東岸の道を奥(北)へたどる。
登山口 (04/08/08)
右側の白い看板は置塩城の案内図。登山口は看板の横にある。画面左は十数台の車が置ける駐車場になっている。この道を50mほど奥へ進んだ所に櫃蔵神社が鎮座している。
登山口 (04/08/08)
右に置塩城の案内板、左に城跡の碑が見える。登山道はその間にある。入り口は草がしげっていたが、10mも進むと道幅が広がり、よく整備された登山道となっている。置塩城では平成15年に第10回全国山城サミットが開催されたとのことで、駐車場にはその記念碑が建てられている。
道標 (04/08/08)
登山道には1丁ごとに碑が建てられている。城郭の入り口が18丁なので、10丁はまだ中腹。登城はここからがきつい。
登山道 (04/08/08)
10丁付近の登山道。登山道は所々に階段が設けられている。路面は大きな石が多く、足場を選びながらの道はかなりつらい。
城郭入り口 (04/08/08)
登山道はここまで。ここから二の丸、三の丸などの曲輪群が連なる。置塩城の案内板がここにも設けられている。
石垣 (04/08/08)
二の丸跡付近の石垣。石垣跡は所々に見られるが、崩れかけたものが多い。
二の丸跡 (04/08/08)
二の丸跡、三の丸跡とたどりながら本丸跡へ向かう。
三の丸跡 (04/08/08)
二の丸、三の丸周囲を小曲輪群が取り巻く。容易には全貌がつかめない。大手門跡へたどりたかったが、時間不足になりそうなので断念。それほどに規模が大きい。
本丸跡 (04/08/08)
本丸は別峰にある。二の丸跡からさらに登り本丸跡にたどりつく。発掘調査が継続している様子で、本丸跡はほぼシートで被われていた。
本丸跡からの景観 (04/08/08)
城跡からの景観は意外によくない。本丸南西側が少し開けていて、書写山が望める。