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松山城

所在地 愛媛県松山市 地図 トップに戻る
由来 七本槍の加藤嘉明により、慶長8年(1603)に築城された。その後城主は蒲生氏郷の孫蒲生忠知に変わり、さらに親藩の松平氏(15万石)に引き継がれ、明治に至った。現在の天守は、天明4年(1784)の落雷で焼失したものを、安政元年(1854)に再建したものである。小天守や其の他の櫓、門の多くは昭和の放火、戦災で焼失したが、昭和41年(1966)から総木造での復元が行われて居り、昔の姿によみがえりつつある。
松山城は、海抜132mの勝山山頂に本丸が置かれ、中腹に二の丸、山麓に三の丸が置かれていた。代表的な連立式の平山城である。天守は三重三層(地下1階)の構造を取っている。
訪問来歴 03/02/27

湯築城跡から (03/02/27)
勝山当方の湯築城跡(道後公園)の山頂から望んだ。
大手門跡 (03/02/27)
門扉は復元されてはいなかった。
戸無門 (03/02/27)
戸がなかったので戸無門と呼ばれていたようである。国重文指定。
一の門 (03/02/27)
手前は一の門南櫓、向うの上は三の門南櫓。いずれも国重文。
二之門 (03/02/27)
国重文指定。
三の門 (03/02/27)
国重文指定。右手は天守。
三の門南櫓 (03/02/27)
国重文指定。右は国重文指定の筋鉄門東塀。
南隅櫓 (03/02/27)
左は多聞櫓。右は十間廊下。左端は小天守。
天守閣 (03/02/27)
国重文指定。左は小天守閣。手前右は二の門南櫓。手前左は国重文指定の一の門南櫓。松山城は天守閣、小天守、南隅櫓、北隅櫓をロの字型に結んだ連立式天守である。>>拡大図
天守第二層 (03/02/27)
天守第三層景観 (03/02/27)
東方向を見ている。右奥に石鎚山が見えるらしいが、この日は霞んでいて望むことが出来なかった。
鎧甲 (03/02/27)
天守第一層は小天守、多聞櫓、南隅櫓、十間廊下、南隅櫓と廊下で結ばれている。これは十間廊下内。
仕切門 (03/02/27)
国重文指定。
野原櫓 (03/02/27)
本丸北西の野原櫓。国重文指定。
乾櫓 (03/02/27)
本丸西方の乾櫓。
石垣 (03/02/27)
本丸北方の石垣。奥上は乾櫓。中央上は野原櫓。本丸周囲の石垣は、大石は見られないものの整然としてまことに見事である。